エリクト・サマヤとスレッタ・マーキュリーは同一人物か?/『水星の魔女』前日譚「PROLOGUE」、小説「ゆりかごの星」、1話を観ての続きとして、
エリクト・サマヤとスレッタ・マーキュリーは同一人物ではない、
という見方が8話時点では強まっていると思う
6話で今がプロローグから21年後、8話でナイラ・バートラン、エリクトがばぁばと呼んでいた人物、が映し出された映像をスレッタが観て
「誰?」と言っていた等、理由は幾つか挙げられると思う
そこでエリクトとスレッタが同一人物ではないとすると、 プロスペラは誰か?という疑問も出てくると思うが、以下ではないかと私は考えている
- エリクト・サマヤの母親、エレノア・サマヤである
- エリクト
1.は順当な予想だと思う。 2.についての1番の理由は「ろうそくみたいでキレイだね」というエリクトの発言に 悲しんでいた、怯えていたような表情を見せた母親が プロスペラと同一人物なのか?という疑問だ
ろうそくみたいでの発言直後のエルノラの表情
© 創通・サンライズ・MBS
このような表情をしていた母親が復讐のためとはいえ、
自分の娘を道具のように扱う、というのは考えにくい。
私が考えたくない、そうであって欲しくはないだけなのかもしれないが
このアニメが一種の復讐劇、というのは復讐劇『テンペスト』のオマージュであることから間違いはない。
『テンペスト』は主人公プロスペローや妖精エアリアルが登場するシェイクスピアの古典だ
プロスペラは不敵、という言葉が似合う女性で
大胆に立ち回っている。この大胆で物怖じしない性格で
プロスペラが道具のように扱える人間がいるとしたら自身のクローンで、
それがスレッタではないか?という仮定がある
エリクトも物怖じしない積極的な性格であった。
この性格は比較的内気に見えるスレッタとは対照的である
プロスペラ=エレノアで、スレッタがエリクトのクローンではないか、ということも考えられるが、 その場合クローンとはいえ、自身の娘に似た人物を復讐の道具として 扱えるのか?という疑問が湧く
スレッタがプロスペラの娘ではないだろう、ということを感じさせる描写は作中に幾つかある。 プロスペラが「娘」「娘たち」というとき、それはガンダム・エアリアル(ビットを含む)を指し その娘たちのなかにスレッタが入っているのか?と思うときは多々ある
「大丈夫、エアリアルは勝つわ。わたしのかわいい娘だもの」と言うプロスペラ
© 創通・サンライズ・MBS
水星の魔女のOPで以下の歌詞が歌われているが、
これは君の人生 (誰のものでもない) それは答えなんて無い (自分で選ぶ道) もう呪縛は解いて 定められたフィクションから今 飛び出すんだ 飛び立つんだ
これがスレッタ自身の境遇を表しているとすると、 スレッタ自身がまだ知らない過酷な境遇があり、 それを乗り越えていく話が、これから展開されていくのだろうと思っている